神とのつながりを失うとき

神とのつながりを失うとき

こんにちは。トリニティプラクティショナーの津田麻里子です。

 

先日、わたしたち人間は、神と共同創造するために創られた、ということを書きました。

 

共同創造は、わたしたち人間が、神の存在を信じているからこそ起こること。

 

自分だけしか信じていない、目の前の現実、目に見えるものだけしか信じないと思っている人には、どれだけ神が人間を無条件に愛しているとしても、その愛は届かないし、そこに共同創造は起こらない。

 

そして、神の存在を信じて、自分を明け渡し、そこに共同創造が起こったとしても、その手柄を自分のチカラだけでやり遂げたと勘違いしたり、その結果得られた富や愛情、自己実現した喜びにフォーカスして、それらを得ることが生きる目的になったとたんに、神から遠ざかり始める。

 

前回の「わたしたちは、光と闇を抱えて生きてきた」で書いた聖書における「蛇」という存在は、こんな感じでわたしたちを、神から遠く離れた世界へ誘惑します。

 

それは、わたしたちに、とても耳障りのよい、心地よい、甘い言葉で囁きかけてきます。

 

その言葉に惑わされてしまったら、神からは、どんどん遠ざかるだけ。

 

そして、遠ざかれば遠ざかるほど、神の愛は感じられなくなってしまう。

 

気づかないうちに神の愛を失って生じた不足感や欠落感は、とても大きくて深いもの。

だけど、多くの人は、なぜそんな気持ちを感じているのかわからない。

 

そして、わからないままに、不足感や欠落感を埋めるために、行動し始める。

 

誰かの愛をもらってその穴を埋めようとしたり。

 

ある人は、その穴をお金で埋めようとするかもしれない。

 

また、ある人は、地位や名誉で、ある人は何かを所有することで埋めようとするかもしれない。

 

楽しいことを追いかけて、快楽に身をまかせることで、その穴を見ないようにする人もいるだろう。

 

そうやって自分の命を懸けて、ゴールのないゲームを、ただひたすら飽きるまでやり続ける。

それに飽きたとき、そこに価値を見出だせなくなったとき、ふと我に返って、初めて「なにかが違う」とか「どれだけやっても満たされた感じがしない」と気づくのかもしれません。

 

わたしが生まれてきた本当の目的は、自分を幸せにするためなのか?

 

肉体を持って地球に生まれてきたのは、成功することが本当の目的だったのか?

 

今回また生まれ変わった理由は、パートナーと出会うためだけだろうか?

 

わたしの命は、何のためにあるのだろう?

 

もっとその先があるのでは?

 

そう感じ始めているなら、あなたは導かれています。

 

その先にある、神と共に生きる世界へ。

 

「わたし」を超えて、神とつながりながら、神の愛を感じながら、魂の使命を生きる世界へ。

 

不足感も欠落感もない世界を、あなたも生きてみませんか。

素晴らしい世界が広がっていますよ♡