ものづくりと神とのつながり

ものづくりと神とのつながり

こんにちは。トリニティプラクティショナーのつだまりこです。

 

わたしたちが、肉体を持って人間として生まれてきたことには理由があります。

 

なぜ、わたしたちは、神から分離しなければならなかったのか。

 

地球で様々なことを経験すること、地球を楽しむことが、わたしたちの最終目的ではありません。

 

すべての魂が知っている本当の目的。

 

それは、神と共同創造を実現するためには、人間として分離していることが必要だからです。

 

無限の神から、有限の人間に分離することで、わたしたちは初めて「無限を創り出したい」「永遠というものに出会いたい」という”願い”に出会います。

 

永遠の命、永遠の愛、永久に続く平和な世界…。

 

分離をせずに神とつながっているなら、そもそも無限なので「無限を創る」必要性がないのです。

 

話は変わりますが、わたしは芸術や美術、アートに触れることが好きです。

 

これらの作品に、心を揺さぶられたり、癒されたり、元気をもらったりと、作品を通して、たくさんのものを受け取ることができます。

 

自分には生み出せないものを生み出すことができる芸術家たちは、本当に素晴らしいと思いますし、私にはできないことなので憧れてしまいます。

(上の写真は大好きな岡本太郎氏の像に触れて幸せを感じているところ♡)

 

でもね、最近気づいてしまったのです。

 

人の心を動かす作品には、神の、無条件の愛が宿っているということに。

 

わたしは、それらの作品を通して、気づかないうちに神の愛に触れていました。

 

わたしが作品を通して感じていたのは、神の存在だったのです。

 

作品を通して、わたしは、いつのまにか神に恋をしていたようです♡

 

ものづくりをしているとき、人は、知らず知らずのうちに神とつながっていることがあります。

 

自分の感情のすべてを切り離し、ただ目の前の作品に無心になって集中しているとき、それは起こっています。

 

上手くできるかどうか、他人がどう評価するか、いくらの値段がつくか、自分らしいかどうか、相手が気にいるかどうか、などのすべての「わたし」の感情を手放して、無条件という状態で作品を作り上げる。

 

このときに神と人間の間で、共同創造は起こっています。

 

神は、神として上の立場から人間を手助けするのではなく、作り手としての人間の観点に入ってサポートしています。

 

それなのに、できあがった作品を手にして、それがすべて自分の手柄だと思い込む。

 

それをもとに、もっとお金を得ようとか、もっと有名になりたいとか、多くの人に愛されたいとか、作品に全身全霊をつぎ込むこと、作品を創り出すことが目的ではなく、「わたし」の目的達成のために作品を利用することで、人は神から離れていくことになる。

 

神から離れ始めると、いつの日かスランプに陥っていく。

 

「自分の納得できる作品が創り出せない」

 

「何を創りたかったのか、わからなくなった」

 

「どれだけ創っても、むなしい」

 

そして、願いはじめる。

 

「あの頃の感覚を取り戻したい」「ものづくりが楽しかったあの頃に戻りたい」と。

 

でも、戻り方がわからない。

 

多くの人は、そのまま惰性でものづくりを続けていくか、自分の才能は枯れてしまったと諦めてものづくりの現場から去る人もいるだろう。

 

何かにつながって作品を創ったという感覚があったり、そのときのインスピレーションを得た感覚をおぼえているならば、それを再現できるのではないかと思い込み、薬物に手を出す人も中にはいるだろう。

 

戻りたいならば、自分という「フィルター」を無くすことしかない。

 

「わたし」をすべて捨てること。

 

「わたし」の目的達成のために作品を創造するのではなく、その作品を創造するために、「わたし」は神のカラダになって、手足になって、動くのだ。

 

すべてを明け渡し、神に「使ってもらう」感覚で。

 

そこに、「わたし」の目的を挟んでしまえば、神のエネルギーはそこに入り込む余地がない。

 

あなたは、ただのパイプ(管)になる。

 

神のエネルギーを通すパイプ役だ。

 

あなたがパイプとして詰まっていたら、神のエネルギーは通らない。

 

あなたがパイプとして身を委ね、神のエネルギーを通したとき、共同創造が起き、作品ができあがる。

 

自分が作品に納得できる、クライアントが満足する、人から評価される、お金が入ってくる、仕事の依頼が舞い込む。

 

これらはすべて結果であって、あなたが生きるための目的ではなかったはずだ。

 

神から離れてしまったと気づいたとき、あなたは初めて神の存在を感じることになる。

 

自分ひとりでは、限界があった。

 

自分だけの力ではなかった。

 

あのとき、本当は神とつながっていたこと。

 

そして、自分が神から愛されていたこと。

 

神の存在に気づくこと、再びつながりたいと願うことで、改めて「神と共に生きる」決心がつくのかもしれません。

 

それが、わたしたちが、神から分離をする目的なのです。

あなたの世界に、神はいますか?